教師生活30年(学校20年、塾10年)
公立高校で20年弱、塾はいくつか渡り歩いて足掛け10年。
合わせて30年近くも教師という仕事をしてきました。
右も左もわからない駆け出しのころは、毎晩2時、3時まで教材研究をしていたことを思い出します。
特に一芸に秀でていたこともなく、何か専門的に極めたこともない、ごく普通の若者が、1クラス40名の高校生に何かものを教えるというのだから、知識の確認から授業を構築しなければいけないので、その苦労はたいへんなものでした。
書物を読んで知識の確認、板書事項の整理、説明すべき内容の書き加え、これを4単位の授業では、この作業を週に4回しなければいけません。
それに加え、小テスト作成、採点、そして、答案用紙に励ましのメッセージ。
こういう作業は学校の空き時間にしていました。
まだ土曜日が半ドン(午前中のみ授業)だったころに採用されたので、授業準備は日曜日と平日の夜中しかありませんでした。
そして、いくら準備をしても、すぐに次の授業がやってくるので、落ち着いて反省している余裕もありません。
20代前半の若者が10代後半の若者に何かを教えるというのは、たいへんな苦労を伴います。
高校生の方が内容に詳しいことも多々あり、それでも教壇に立ち続けなければいけない新米先生は、毎日が試練でした。
そのような私が、教諭という安定した立場を手離し、民間の進学塾へと転向したのはおよそ10年前。
周りの先生からは、「もったいない」「早まるな」「たいへんだぞ」と、私の将来を危惧して、多くのお声をいただきました。
それでも公教育への疑念は晴れることなく、教員免許更新をしないことを明言して、あっさりと飛び降りてしまいました。
一体、何が私をそう動かしたのか。
私の頭の中は、四六時中、教育のことでいっぱいです。
一般論だけでなく、教育手法、個々の生徒への思いなど、教育に関することが渦巻いています。
同僚と寝食を共にした際には、「先生、寝言で算数の授業をしていましたよ」と言われました。
起きている間だけでなく、どうやら寝ているときも教育から離れられないようです。(笑)
私と関わってくださった保護者さんに言わせてみても、どうも一風変わった先生のようです。
そんな私が普段どのような考えているか、また、日々の教育活動のなかで感じたことなどを、今後、アップしていきます。
私の考えや視点が、子育てに悩んでいる方の参考になれば幸いです。
これから、どうぞよろしくお願いします。 (2023年5月27日)